今日は若干17歳で20以上の言語を操るPolygrotであるTimが、言語を話すとはどういうことかについて語っているビデオから。彼が言語を習得した方法についても触れてくれています。

彼、めっちゃ話すの早くて、デフォルトで倍速くらいのスピードで話します。0.75倍速くらいでやっと普通という感じ。あと言い回しが独特というか、すごく知的なので、聞くと語彙力強化されると思います。お時間が許す方は、ぜひ辞書を片手にご覧くださいね。(内容的にもヘビーで、いつもの倍量あります^^;2日かかっちゃった)


多言語話者(Polygrot)のジレンマと、それになった経緯

20以上の言語を流暢に話す少年Tim。しかしメディアへの露出が増えるにしたがって、彼はあることに気づきます。それは、メディアは、彼をサーカスの見世物のように扱うのだ、と。

司会者:「アラビア語でこう言ってみてくれる?」
Tim:「(アラビア語)」
司会者:「わー!すごい!じゃあ次はドイツ語は?」
Tim:「(ドイツ語)」
司会者:「すごいね!じゃあ中国語は?」
Tim:「最近ではアメリカでも多くの人が中国語を学んでいますよね。」
司会者:「いやいや、ただ言語の切り替えをして見せてよ!」
Tim:「は、はあ…(中国語)」
司会者:「もっと中国語話せる?」
Tim:「いや、あまりやりたくないな。でも中国について話すことはできるよ。その言語を学ぶことで得ることはたくさんあって…」
司会者:「あー、Timごめん、もうそろそろ時間だ!」

と言った具合。

司会者:「じゃあトルコ語でさよなら!って言ってここを終わろうか!^^」
Tim:「あの、僕ら何もまだ実用的なこと話してないよね…」
司会者:「はい、トルコ語どうぞ!」
Tim:「・・・(トルコ語)」
司会者:「どうだい、彼!どんな女の子もゲットできるんじゃないかなー(笑)さてそのままでいてね、次は水着を着たスケボーに乗るわんちゃんの登場だからね!」

言語を知るということは、辞書の文字の組み合わせを知る以上のことだ、と話すTim。

「お風呂がどこだとか、時間を伝える」とかいうことができるようになる以上のことなんだ。

Timが言語学びだしたのは、2011年から。
子役をしていて、発音が得意だったので、ラジオとかテレビのCMのオーディションに行っていたそう。そこで色々な音を出すことができるように。これが外国語のアクセントを拾うのに活かされるようになりました。

Polyglot化が始まる…

3年生のとき、初めてフランス語。3年生って日本で言えば10歳くらいでしょうか?

7年生で、ラテン語。ラテン語はもう使われていない言語ですが、これを学ぶことで、言語を分解する方法を覚えたそうです。パズルのように分解して、そのルールを紐解くコツを身に着けたようです。そうすると言語を学ぶのが速くなりそうですね…。

言うのは簡単ですが、中学生くらいで言語の構造を理解するために分解しようと思いつくあたりがすごいですね。日本の教育だと、与えられたものを覚えてたらそれでいいっていう既成概念を壊せる生徒がどれだけいることか(私は壊せませんでした)…自主性の問題でしょうが。だって「するかしないか」は個人の自由ですから。なんでしょうか、この日本教育の「これやっちゃダメ」感…。私が学生のときはそんな感じでした…。脱線しました。

さて13歳で、イスラエルとパレスチナ紛争について興味を持ち、Hebrew(ヘブライ語)を勉強し始めたそうです。この世界に対する意識の高さはどこから来るのでしょう?しかもだからって、異言語を学ぶというモチベーションはどこから…!?しかも、やり方は知らなかったし、何をすべきかも分からなかった。のにです。

だからRap音楽を聴いたんだ。歌詞を覚えてそれを口に出した。そして週1回、月1回でもネイティブスピーカーと話すようにした。すると徐々に分かることが増えていったんだ。ネイティブみたいな発音じゃないし、明瞭には話せないし、文法についてはサッパリだけど。でも学校じゃやらないことをやったんだ。言語の基礎になりそうなことを全部自分でピックアップしてね。

ココ⇒でもご紹介しましたが、やはり言語を身に着けるには音楽はいいみたいですねー。やはり楽しんでできるのはいいですね♪そして、この自主性。

14歳(9年生)の夏、アラビア語を始めた。2010年のことだ。1か月後には、問題なく読めるし書けた。

もう、すごすぎです。Tim。彼にとっては、言語は趣味だったそうです。趣味しても、早すぎじゃないですか?

2011年には悪い不眠症になった。
言語の文法の本を読んだり、TV番組を見たりしてアラビア語やヘブライ語を学ぶにつれて、自分と向き合う時間が増えた。眠れなかったとき、自分がアラビア語を話しているところをPCスクリーンで録画したんだ。そして字幕をつけてYoutubeにアップした。"Tim speaks Arabic"って題名をつけてね。

そうすることで、Timは世界とつながる喜びを知ったのでした。他の人とつながる前にも、自分ひとりでもそこまでのことを探究した彼の探究心と好奇心はすごいです。やはり習得を助けるのは、探究心と好奇心

ちょっと思ったのは「習得」とは単なる結果であって、探究心、好奇心を追いかける「その行為自体」にこそ意味があるのかもしれません。それこそが目的というか。だから、探究心を持たなきゃ…というのは本末転倒で、じゃあ「探究心、好奇心が持てる物はなんなのか?」その結果に習得が付いてくるのではないでしょうか。

と言ってもここに来られている方は英語の習得を結果としてほしいわけですから、英語で何を探求したいのか?を明確にすることだと思いました。⇒どこで使いたいのか?を明確にする

「行為にこそ意味があり、結果にはそれがない」と有名な起業家も言っていましたね。(名前ド忘れしました)

多言語話者が語る、言語を記憶する方法

Timは自分自身ですべて学んだため、やはり学習の面で壁にぶつかったそう。来月までにパシュトー語を学んでと言われても、何をしたらいいか分からないでしょう?全っ然分かりません。

2つの手法を紹介してくれています。

空間を使った記憶術

Timが実験したのは、ラテン語の授業で紹介されたCicero(ローマ末期の哲学者のこと?)による記憶術(Method of loci)手法。その手法を紹介してくれています。

いくつかの単語を覚えたいとして、それを単語帳のように区画化したものにに入れて記憶する代わりに空間的にそれらを結び付けて記憶していくそう。ちょっとマインドマップに似てますね。ただ、こちらは空間的だそうですが。

自分が良くいく場所(目を閉じても鮮明にイメージできる場所)を思い浮かべて(Timの場合はユニオンスクエア)イメージの中で自分がそこを歩いているところをイメージして、それぞれの場所で自分の行動と一緒にその単語を関連付けるとのこと。

実際やっているところはここから

やってみせよう。

パークアベニューを歩いている。これを日本語で「Iku」
もう少し歩いて、階段に座る。「Suwaru」
そこから真北にはジョージワシントンの像がある。ここで僕がいつも思い浮かべるのは「噴水」だから飲むという意味の「Nomu] 次はそこに木があるから、それを切ることができる「Kiru」
北に向かって、看板を読む「Yomu」
それかもしお腹が減ったら大好きなファラフェル(マメから作ったコロッケのような中東の食べ物。)の食べられる所に行って、「Taberu」

あれ、間違った?いいよ、10個のうちの8個だ!悪くない。

このような風な手法は、これは言語を学ぶことをより相互的な(インタラクティブな)経験にしてくれ、もっと思い出しやすく、とても楽しいものにしてくれます。楽しくやることが、記憶を助けます。(⇒マインドマップ)

類似音で覚える

もう一つ。

どうして同時にいくつも言語を学んでいて、混同しないの?でしょうか?どうやってそんなにたくさんの語彙を学べるのでしょうか?Tim自身も、表や本で学んでも、頭に入らない(goes out the other ear.耳から入って耳に抜けていく)そう。Timでもそうなんですねー。

だから、たとえば、発音が同じ単語群で覚えるようにした。そしたら、ある単語を聞いたときそのほかの似た単語が自動的に頭に浮かぶんだ。単語自体は関連していないけど。でも一つを聞いたら、それがきっかけになるから・・・・他の単語の(覚える、思い出す)きっかけになる。

これをすれば流暢になるということではないですが、少なくともTimには効果的な手法だったとか。観衆のみなさんすごすぎて笑っていましたが。確かにこれは、笑えるレベル^^;Thesaurus以外にも、音で関連付けるというのは新しい見方。

文化(的背景)を理解しないことには言語を学ぶことにはならない

何故Timはニューヨークに住んでいるのにPashto(パシュトー語:アフガニスタンやパキスタンの言語)やOjibwe(オジブワはアメリカもしくはカナダの先住民族の言語)を学ぼうとするのか?

実際、僕は全人生をニューヨークで生きてきた。そしていつも一日のうちに聞こえる言語の数に圧倒されている。通りを歩けば、スペイン人に、中国人に会うし、ロシアの本屋さんにインド料理屋にトルコのお風呂屋さん。それも全て言語の多様性だ、アメリカ文化の主流はmonolingual(単一言語話者)?コカコーラのビデオを見たらそれが本当だとは思わないだろう。

たとえ一か所に留まっていたとしても、ニューヨークでは、多くの文化に触れる機会があるのですね。そこでTimは自分で街を歩いて多言語を使っていろんな文化の人たちと交流を試みます。ぎこちなくても。

何故それをその文化の言葉でやるのか?というと、この言葉から。

ネルソンマンデラの言葉
"If you talk to a man in a language he understands, that goes to his head.
If you talk to him in his language that goes to his heart."

言語と文化、言語と思考にものすごくつながりがあることにきづいたTim。
より人の心とコミュニケーションをとりたいのなら、その人の使う言語でやり取りをしたほうがいい。Timはその言語を使う人の背景(文化)について学ぶことが肝要ということに気づいていたのです。実際、文字通りの言葉を話すのと、コミュニケーションが取れるのとでは、意味がまた異なります。

例えば、
君がPersianの本屋さんで何かを買いたいとして、How much is this?と聞くと、普通彼はこういうだろう
「It's worthless」
これはTarrafという文化で、二人の人が会話しているとより謙虚であろうとするものだ。
だから僕が本を買おうとしていると、その人にとって、僕に「それは five buck(5ドル)だ」というのは失礼なことなんだ。
だから、「It's worhless」(あなたが手に取るほどのものじゃないよ、という感じかな)という。
あなたは見た目もいいし、才能にあふれているし…私はとても謙虚だから、タダで持って行ってください。ということ。

イランの例では、

それとかこんなフレーズもあるかも
感謝を示したいとかありがとうって言いたいとき、もしくは初めまして、というとき。
イラン語の言葉を直訳で英訳すると、
「May I sacrifice my life for you」(私の人生をあなたに捧げていいですか?)
という(笑)とても詩的でしょ。
だから、本当に文化的なものを理解しないといけないのです。

文化的背景を理解していないと分からない言い回し、面白いですね。そういえば、この言語学者さんも紹介してくれていました。(⇒言語学者に学ぶ言語を早く学ぶ方法

2週間で1つの言語が死んでいく

この地球上では、2週間ごとに、ある言語は死に、そして誰も話さなくなるそうです。

これは衝撃でした。言語なんて、そうそう無くなったり生まれたりしないものだと思っていました…。そういえば言語が生まれることはあるのでしょうか?こういう意味ではどんどん生まれていますが(⇒あなたも多言語話者)

多くの言語学者が言語はあなたの考え方に本質的な影響を与えないと信じてる。
あなたを数学の天才にしてくれる言語は存在しないし…でも確かに言語と文化を結び付けているものはある。

ヴィドゲンシュタインも、言語の限界が、思考の限界だって言ってましたっけ…。言葉を超えたものはあるにしろ、思考するのは言語でですから、そこに結びつき(tie)がないとするのは早計な気もします。表現手法(技法)としての言語であれば、本質の私には影響はないのかもしれませんが、表現を行う上で文化的背景とそれを構成する言語は切り離せないものでしょう。

この地球上では、2週間ごとに、ある言語は死ぬ。そして誰も話さなくなる。戦争のせいだったり、飢饉のためだったり。同化してしまうこともしばしば。自分の村の言語を話すよりも、例えばアラビア語を話すほうが簡単だったりね。アマゾンに住んでいたけど、切り出されてポルトガル語を話さざるを得なくなったり。

それについて考えてみようか。今日から2ヶ月前というと4月1日。皆さんは支払とか家賃とか大変だっただろうけど、2つの文化にとっては、それは自分の文化と言語の死だった。

スペイン語を上達させようとしたり、日本語のクラスに行ったりすることもあるかもしれないけど、(自分の)言語が死ぬことはないでしょ?

自分の使う言語が死ぬ(もう使えない)ことを考えると、信じられない気分になります。でも、どの言語であっても、それはありうることで、言葉というものが道具に過ぎないと思えば、自分を表現する言葉は無限にあることに気づきます。どんな言葉で、自分を表現したいでしょうか?

言葉を簡単に翻訳することはできるだろうけど、意味を翻訳することは(簡単には)できない。

文化的背景を学んでこそ、その言語を本当の意味で理解し、使いこなせるようになるのですね。

まとめ

多言語話者Timによる言語についてのお話でした。
表面的にその言語を「知った」としても、本当の意味で「学んだ」ことにはなりません。それを使う人たちの文化を理解して初めて「生きた言語」としてその言語を「使える」ようになるのです。
この方も日本語について同じようなことを話されていたのを思い出しました。

確か日本語も、「察する」ってことが分かってないと話せないですもんね^^;これは日本語についてだけではなくって、他の言語についても同じことが言えることなのです。

「これはどういう風に使われるんだろう?」「こういういときは、どんな言い方をするんだろう?そしてそれはなぜだろう?」など、常にその言語のもつ文化的背景に対して好奇心・探究心を持った視点を持って学習したいものです。

今日はちょっとボリュームたっぷりでしたね!最後まで読んでくださりありがとうございます。

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